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東京地方裁判所 昭和54年(ワ)4728号 判決

原告

甲野太郎

右訴訟代理人

後藤紀

被告

斎藤博

右訴訟代理人

秋守勝

外一名

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金三五〇〇万円及びこれに対する昭和五四年七月二八日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、被告との間で、原告の息子の医学部入学に役立てる入学保証金として使用し入学できなければ返還を受けるとの約束をしたうえ、昭和五四年一月二六日、被告に対し、三五〇〇万円を預けた。

2  ところが、原告の息子甲野次郎(以下「次郎」という。)は、昭和五四年四月、どこの大学の医学部にも入学できなかつた。

3  被告は、前記保管中の三五〇〇万円を、自己の用途に費消して着服横領し、原告に同額の損害を与えた。

4  よつて、原告は、被告に対し、前記1の合意又は不法行為による損害賠償請求権に基づき、三五〇〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和五四年七月二八日から支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める(ただし、三五〇〇万円全額が入学保証金であつて、入学できなければ全額返還するとの約束ができたことは否認する。)。

2  請求原因2の事実は認める。

3  請求原因3の事実は否認する(ただし、被告が三五〇〇万円を保管したことは認める。)。

三  被告の主張

1  原告が被告に対し三五〇〇万円を交付した目的は、次のとおりである。

(一) 被告は、昭和四八年から、医、歯、薬系受験予備校東京ゼミナールを開設した。被告は、自校予備校生の医学部合格を図るため、後述する斡旋入学制度を最大限に利用した。

(二) 私立医、歯系大学には、独自の経営、教育目的・方針、人材の養成等特色があり、点数だけの競争試験のみが受験生選抜の唯一公平の方法とはみなされず、文部省からの自粛通達、社会の批判等があるにもかかわらず、父兄の要望もいれ、斡旋(推薦)入学を認めている。これは、半ば公知の事実である。

そして、斡旋入学には、平均的学力の不足する受験生の父兄に対して、寄付金、積立金、学債等の名目で他に比して多額の経済的出損をさせる。そのうちの多額の金員が運動金又は謝礼として大学理事、仲介関係者等に事前ないし事後に交付されることも、隠れた事実である。

(三) 被告は、関係者に見せ金とすること、仲介教授等の志望校選定の方針が明確でない場合もあること、場合によつては大学関係者に相当金額を事前に交付すること、合格後父兄から運動金、謝礼名目で金員を提供させることはときとして容易でないこと等の理由から、相当の金額を父兄から、事前に預かる。その名目も、寄付金、学債というのが大体の決まり文句であつた。

そして、被告は、志望校と直接交渉するのではなく、大学教授、講師、国会議員、同秘書、会社役員等その大学に関係するあらゆる人脈を利用して、斡旋入学を図つた。

(四) 原告から預かつた三五〇〇万円も、右斡旋入学を目的とするものであつた。被告は、次郎を入学させるため、あらゆる運動をした。

2  前記1のとおり、原告から被告に対する金員の交付は、原告の子息の医学部入学にあたり、大学当局者及び仲介者に金銭的利益を与え、その学校の正規に定められた教育・経営方針に背いて入学を許可させることを目的とするもので、私立学校のみならず社会全般の公序良俗に反する行為である。原告も、医学部入学の実態及び被告の行動を承知していた。

したがつて、原告が被告に交付した三五〇〇万円の返還を求めることは、公序良俗に反し許されない。

3  仮に公序良俗違反でないとしても、被告は、原告から受け取つた三五〇〇万円のうち半額を、次郎の入学のため、運動費として使用した。原告も、右事実を知つている。

したがつて、三五〇〇万円のうち、半額については、返還の必要がない。

四  被告の主張に対する答弁

1  被告の主張1の(一)の事実中、被告が医、歯、薬系受験予備校東京ゼミナールを開設したことは認め、その余の事実は不知。

被告の主張1の(二)の事実中、私立医、歯系大学では被告主張のような斡旋入学があることは認め、その余の事実は不知。

被告の主張1の(三)の事実は不知。

被告の主張1の(四)の事実中、三五〇〇万円を預けた趣旨は争い、その余の事実は不知。

2  被告の主張2は争う。

被告は、前記金員が「入学保証金」であり、入学保証金であるが故に「入学できなければお返しする。」旨明言しているのであつて、右金員の授受及び目的が公序良俗に反するとは言い難い。

3  被告の主張3の事実中、三五〇〇万円の半額を次郎の入学のため運動費として使用したことは知らない、その余は争う。

第三  証拠〈省略〉

理由

一請求原因1の事実(ただし、三五〇〇万円全額が入学保証金であつて、入学できなければ全額返還するとの約束ができた点は除く。)及び同2の事実、並びに、被告の主張1の(一)の事実中、被告が医、歯、薬系受験予備校東京ゼミナールを開設したこと、及び、同1の(二)の事実中、私立医、歯系大学では被告主張のような斡旋入学があることは、当事者間に争いがない。右争いのない事実に、〈証拠〉を総合すると、次の事実を認めることができる。

1  原告は、愛知県豊橋市で皮膚科の医院を開業する医者である。原告には、昭和五一年三月に高等学校を卒業した長男次郎がいる。

2  被告は、昭和四八年、医学部、歯学部及び薬学部を志望する受験生のみを対象とする予備校「東京ゼミナール」を開設し、昭和五四年四月まで、右学校の経営にあたつた。

3  東京ゼミナールでは、右期間中約一〇〇〇名の受験生を大学に入学させた。そのうち二〇〇名を超える受験生が医学部に入学している。医学部に入学した受験生の多くは、学力による選抜試験の結果で正規に入学したものではなく、後述4のような方法を利用したいわゆる裏口入学者であつた。

4  すなわち、私立の医系大学では、学力試験の結果のみで入学者を選抜するのではなく、縁故者の推薦を受けた受験生から、寄付金等の名目で多額の金員を受け取り、学力試験で合格点に達していない生徒を入学させることがある。

被告は、東京ゼミナールの生徒を右のような方法で医学部に入学させるため、大学教授、大学の理事、国会議員等あらゆるつてを利用して、医学部入学の斡旋・仲介を依頼した。右斡旋・仲介を受けるためには、あらかじめ大学に対し、寄付金あるいは学債等の名目で千万単位の金を納めなければならない。また、大学関係者及び仲介者に対しても、運動費あるいは礼金等の名目で多額の金員が(例えば、大学の理事に一〇〇〇万円、仲介者に一人につき五〇〇万円といつた風に)支払われる。

被告は、医学部入学のため必要な右資金を、事前に父兄から預かつていた。そして被告は、受験生が入学できなかつたときは、預かつた金員を父兄に返還していた。

5  ところで、次郎は、高校卒業後は、文科系の大学に進学する予定であつた。ところが、次郎は、原告と将来の進路を相談した結果、原告の跡を継ぐため、医学部に進学することに決めた。しかし、医学部受験の準備をしていなかつたので、昭和五一年に行われた医学部の入学試験は受けなかつた。

6  次郎は、昭和五一年四月、上京し、東京ゼミナールに入校した。次郎の当時の成績では、到底医学部に入学できなかつた。原告は、次郎の右のような成績を承知していた。

次郎は東京ゼミナールに通学した結果、もう少し勉強すれば日大の医学部に入学できるのではないかと思われる成績に達した。ところが、昭和五二年夏ごろから、成績が下がり始め、昭和五三年には、ほとんど授業にもでてこなくなつた(昭和五三年には、四〇〇点満点で一〇点を超える程度の成績しか残していない。)

7  被告は、昭和五一年一二月ごろ、原告の病院の事務長を通じて、次郎を医学部に入学させて欲しい旨の依頼を受けた。そこで、被告は、原告に対し、次郎の志望校の一つであつた日本大学医学部に入学斡旋の依頼をするので、二〇〇〇万円を用意するよう申し入れた。原告は、これを承諾し、昭和五一年一二月二九日、被告に二〇〇〇万円を預けた。被告は、原告を日本大学の関係者に会わせた。

8  次郎は、昭和五二年に行われた、日本大学医学部をはじめ幾つかの医学部の入学試験を受けた。しかし、いずれの医学部にも入学できなかつた。

9  そこで、被告は、原告に対し、日本大学医学部以外に昭和大学医学部にも入学斡旋の依頼をするので、一九〇〇万円を準備するよう申し入れた。原告は、これを承諾し、昭和五二年八月二九日、被告に対し、一九〇〇万円を交付した。

10  ところが、次郎は、昭和五三年の入学試験でもどこの医学部にも入学できなかつた。

11  被告は、昭和五三年五月二〇日、出張の帰りに豊橋の原告宅を訪れた。被告は、原告に対し、次郎の成績では日本大学や昭和医科大学に入学するのは難しいと説明し、大学のランクを落とし、聖マリアンナ医科大学に入学を斡旋するので、一五〇〇万円を用意するよう求めた(補欠入学者の決定が毎年五月末に行われるとのことであつた。)。原告は、これを承諾するとともに、一五〇〇万円とは別に被告に対して一〇〇万円を手渡した。原告は、昭和五三年五月二五日、被告に対し、一五〇〇万円を預けた。

12  しかし、次郎は、聖マリアンナ医科大学にも入学できなかつた。原告は、金額が大きくなつたため、被告に対し、預け入れた五四〇〇万円をいつたん返還するよう要求した。

被告は、これを了承し、被告個人が受け取つた一〇〇万円を含めた総額五五〇〇万円を、昭和五四年一月一二日に四〇〇〇万円、同月一七日に一五〇〇万円と分割して返済した。

13  ところが、右預り金を返済した後、被告は、石塚文吾という男から、独協医科大学に確実に三名入学させることができる、一人につき四〇〇〇万円を用意してほしい、との申し出を受けた。そこで、被告は、原告に対し、独協医科大学に入学するため金が必要だから、三五〇〇万円を用意するよう申し入れた。原告は、これを承諾し、昭和五四年一月二六日、被告に対し、三五〇〇万円を預けた。被告は、学債を買うとの名目で、三五〇〇万円のうち二五〇〇万円を、石塚に渡した。残りの一〇〇〇万円は、更に理事長等から学債の上積みや礼金の要求等が予想されるので、これにあてる予定で、被告が保管した。

14  次郎は、昭和五四年に行われた独協医科大学を含む医学部の入学試験を受けた。しかし、どこの大学にも、入学することができなかつた。

15  なお、被告は、帝京大学の関係者に対しても、次郎の医学部入学を依頼している。ところが、次郎の入学試験の結果が悪かつたため、次郎を入学させるためには七〇〇〇万円が必要であると言われた。被告は、原告に対し、帝京大学に入学できるが、そのためには七〇〇〇万円、授業料等を含めると八〇〇〇万円が必要である旨伝えた。原告は、八〇〇〇万円も使つて医者にする必要はないといつて、右話を断つている。

16  東京ゼミナールでは、医学部入学の斡旋仲介者等に対する運動資金として相当の資金を支出し、また、医学部に入学できなかつた子弟の父兄から預り金の返還を求められるなどしたため、資金繰りに窮して、昭和五四年四月、倒産した。

原告本人の供述中、右認定に反する部分は、信用できない。

二前記一で認定した事実を前提に、原告の主張する合意に基づく三五〇〇万円の返還請求の当否について、判断する。

1  前記一で認定した事実を総合すれば、原告は、次郎が通常の学力試験によつては医学部に入学できないことを知つて、次郎を医学部に入学させるため、大学ないし大学関係者に交付する目的で、被告に対し、三五〇〇万円を預けた、と認めるのが相当である。

原告は、被告に対して交付した金銭は、正規の入学金及び授業料を前納する趣旨であつた旨供述する。しかし、前記一で認定した金員交付の回数、時期、金額、更に次郎の成績に照らし、右供述は、信用し難い。他に、右認定を覆すに足る証拠はない。

2  ところで、私立大学は、独特の建学の精神や学風のあるところが多く、その自主性をできるかぎり尊重することが望ましいから、学力試験のみが入学者選抜の唯一の方法であるとは考えられない。しかし、私立大学といえども、私立学校法等に基づき学校を経営する法人にふさわしい公共的性格を有するよう定められ、また、私立学校振興助成法等に基づき私立大学にも補助金等の助成が行われている等公共性を有するから、入学者選抜の方法も、公正かつ妥当な方法で、真に大学教育を受けるにふさわしい能力と素質のある者を選ぶものでなければならない。とすれば、学力試験によつては到底入学できない受験生を、学校ないし学校関係者が金銭的利益を得ることによつて、入学させることは、公正かつ妥当な入学者の選抜方法であるとは到底いえず、大学教育を受けるに値する者を選ぶことも困難と認められるから、右のような受験生を入学させる目的をもつた金銭の授受は、社会の常識に反する醜悪なものであつて、公序良俗に反するといわざるを得ない。

3  これを本件についてみるに、三五〇〇万円の預託は、学力試験で医学部に入学できない次郎を医学部に入学させる目的でなされたのであるから、右金員の授受は、公序良俗に反すると認められる。そして、右三五〇〇万円は、その授受の趣旨に照らし入学できなければ返還する旨の暗黙の合意のもとに預けられたものと認めるのが相当であるが、右合意に基づく三五〇〇万円の返還請求は、民法七〇八条の精神に照らして許されない、と解するのが相当である。

4  してみると、返還の合意に基づく三五〇〇万円の支払請求は、理由がなく、失当である。

三原告は、被告が三五〇〇万円を横領した旨主張する。

しかし、本件全証拠によつても、右主張事実を認めることはできない。

したがつて、不法行為に基づく損害賠償請求は、理由がない。

四以上のとおり、原告の本訴請求は、いずれも失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(越山安久 小林正明 森義之)

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